文字の大きさ
浜松南ライオンズクラブ
 
浜松南ライオンズクラブが、チャーターナイトでいただいた画
チャーターナイト時に、故村上国際会長から、初代会長へ贈られたものです。
 
クラブスローガン(2023~2024)
明るく楽しく・笑って・笑って“We Serve”
 
地区スローガン(2023~2024)
変革への順応 未来を拓く“We Serve”の絆
 
複合地区スローガン(2023~2024)
楽しく広げようライオンズブランド
 
国際協会モットー
We Serve 「われわれは奉仕する」
 
トップ > クラブ概要 > 足跡 > 2000年
2000年
野村氏が語る
行動あってのライオンズ。
そこから真の誇りと団結力が湧き上がる。

20周年顧問(4代会長)
L.野村忠好

兄が浜松ライオンズクラブに所属していたので、自然な形で誘われました。私も認証伝達式に参加していたチャーターメンバーの一人でしたが、30年という年月を経て、初代からの継続会員が8人も現役というのは全国的にも珍しいそうです。

 現在に比べ、往時の入会の心得やルールは厳しかった。まずクラブの在り方やメンバーの心得など10時間ほどの教育がありました。月二回の例会は遅刻厳禁でしたし、無届けの欠席などもってのほか。バッチを付けていなくても怒られましたし、反則すれば「ファイン」という罰金制度もありました(笑)。

 その分、メンバーは今以上にプライドがあったように思われます。


力を合わせて、会員数をキープしよう。

従来は浜松ライオンズクラブからの移籍者が会長を務めてきましたが、4年目にして初めて浜松南ライオンズクラブのプロパーとして私が会長に就任しました。

 さて、20周年の思い出を語れということで私が指名されましたが、当時は顧問でしたので前面での活動はしていません。しかしこの頃はよく覚えています。

2000年の会員数は74名でした。この年、シドニー五輪では女子マラソン高橋尚子選手が大会新記録で金メダルを獲得するなど明るい話題もありましたが、90年代初頭に日本を見舞った「バブル崩壊」の波は地方都市の経済も低迷させました。ライオンズクラブが会員数を維持するために最も苦労した年代ともいえるでしょう。

 青少年健全育成に加え会員数維持という目標が明文化して掲げられた時代です。クラブの規律が緩くなったのもそんな背景のせいかもしれません。


利害関係のない仲間は本当の宝物です。

 私自身の活動の中で最も印象に残っているのは、1988年10月8日に姉妹提携調印式を行った塩尻桔梗ライオンズクラブとの交流です。私は姉妹提携委員長として全ての実務を引き受けましたのでとても親しくなり、イベントがあるごとにお互いに訪問したりしながらお付き合いを続けています。

 軽い雰囲気の雑談が姉妹提携のきっかけでした。長野県の山間部にある塩尻は浜松の海に魅力を感じ、逆に私たちは旧中山道が通った塩尻市に興味を持ちました。

 もちろん地域のメンバーとの交流は最も深く有意義ですが、このように全国のメンバーと交友関係を結べるのも大きな喜びです。いずれは日本中を旅して、全てのメンバーとお会いしたい(笑)。ですから、私は旅行時などもバッジを必ず付けています。そして、新幹線などで同胞を見つけるとすぐに話しかけます。そんな出会いから始まり、年賀状のやりとりがずっと続いている方もいます。仕事に関係なく利害関係のない仲間は、私の宝物です。
 
連絡先
浜松南ライオンズクラブ
事務局

静岡県浜松市中区東伊場1-3-1
グランドホテル浜松内

TEL:053-456-0883
FAX:053-456-4079